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【さよなら大滝秀治さん。『テレビがどんどん僕から離れます…』倉本聰さんの弔辞】

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昨日22日、日本テレビの『情報ライブ ミヤネ屋』内にて生中継された故・大滝秀治さんお別れの会。その中でおよそ5分にも及び、大滝さんを『師匠』と慕った、脚本家・倉本聰さんの弔辞。仰天するようなエピソードも織り込まれ、また、おふたりの間柄も偲ばせる感動的な弔辞でしたので、ここにご紹介します。


                    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


大滝さん。40年に及ぶあなたとの付き合いは、さまざまなことを僕に学ばせてくれました。あなたのおかげで、いま僕はいます。

あなたは狂気の役者でした。ひとつの番組が始まる時、初の顔合わせ、本読みの席にあなたの持ちこむ僕の書いた台本は、無数の書き込みですでにヨレヨレ、ボロボロでした。若い頃、宇野重吉さんに「壊れたハモニカのようだ」と酷評されたというあなたの声。しかし、あなたはそのハモニカで、いくつもの素敵なブルースを僕らのために奏でてくださった。

北海道放送の『うちのホンカン』で、初めての主役を演じてくださったとき、「僕が主役、僕の奥さんが八千草薫さん」と子どものようにはしゃいでいたあなた。ロケ隊が入る何日も前から現地に入り、警察官の制服を強引に借用し、子どもたちの通学の交通誘導をなさっていたあなた。旅館の一室で虚空を凝視し、僕がすぐそばで「大滝さん」といくら呼んでもまったく気づかず、「ホンカンさん」と役名で呼んだら突如跳び上がってハッと警官の敬礼をされた。

『北の国から』で牧場主の役を演じられたときは、何日も農村を歩き回り、これぞという服装の農家さんが居ると、いきなり作業中の彼らに迫り「そのジャンパー借ります」「その帽子ちょうだい」と有無を言わさずふんだくり、「追いはぎの大滝」と恐れられました。

役作りに入るとあなたのスイッチは突如狂気のモードへと突入し、世間の常識はどこかにすっ飛び、徹底的に役に集中し、他人の迷惑は考えられなくなり、顔面に血が上り、血管が怒張し、今にも切れてしまうのではないかと周りの僕らをハラハラさせました。

緒形拳さんの最後の作品になった『風のガーデン』では、あなたがガンの末期患者の役で、終末医療の医者が拳さん。そのロケの帰り道、拳さんが僕に目を輝かせて言ったものです。「大滝さんに凄いこと言われた。健康と元気はキミ、別物ですよ」って。拳さんはその時、すでにがんを告知され、クランクアップ直後にそっちに旅立たれました。あなたはそのことを知らなかったはずなのに、何かを感じておられたのでしょうか。

大滝さん。あなたは俳優の役割について、履歴作りから住んでいた家の間取り、住まいの周辺の細かい地図・景色、そうしたところから役を生み出すということを僕に教えてくださいました。あなたのその教えを台本を書く上で僕は守り、後輩たちに伝えています。あなたは僕の師匠でした。

あなたとは居酒屋でよく飲みました。あなたの話題は常に芝居でした。それも一方的にあなたがしゃべり、こっちに口を挟む隙をくれず、しゃべり終わると「じゃ」とひとこと、そそくさと改札口に消えていった。あなたの訃報に突然接したとき、「じゃ」とひとこと、振り向きもせず、せかせか改札口に消えていくあなたの姿を見たような気がしました。

あなたとテレビに打ち込んだ日々が、どんどん遠くへ霞んでいきます。富良野の駅前にある「北の国から資料館」に、ずらりと飾られたあの番組の出演者の顔写真。その顔写真に黒い喪章が年を追うごとに増えていきます。大友柳太郎さん、笠智衆さん、伊丹十三さん、北村和夫さん、室田日出男さん、杉浦直樹さん、古尾谷雅人さん、そして地井武男。こんどはあなた。あなたの奥さんを演じてくれた今井和子も、先週追うように旅立ちました。テレビがどんどん僕から離れます。寂しいです。思えばあの頃が僕らの生きていたときだったんですね。

このまま僕は富良野に帰ります。帰ってあっちで酒を飲みます。あなたの杯にも酒を満たします。つくるということは思うということ。つくるということは狂うということ。つくるということは生きるということ。さよなら、大滝さん。あっちで天国の人々の衣装をいくら気に入っても、追いはぎなさらないように。 2012年秋、倉本聰。

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大滝さんに続く、個性的な唯一無二の役者さんの誕生に期待をしつつ。合掌。